
我が家には3人子供がいますが、私の妊娠・出産は毎回順調ではありませんでした。
1人目は切迫早産による緊急入院、2人目は早めに切迫早産の診断書をもらい、有給消化から産休へ。
そして、3人目は前置胎盤。それも全前置胎盤。
その上、この時夫は海外赴任中で私もアメリカ在住。
緊急帰国して日本で産みました。
そんな私の大変だった出産体験です。
*こちらの前置胎盤の記事では、前置胎盤が発覚してから日本に本帰国して入院するまでの個人的なバタバタが含まれています。
日本での入院生活については、前置胎盤②~⑤を御覧ください。
↓
【経験者は語る】前置胎盤での出産②入院、自己血貯血、出血

1.前置胎盤とは

前置胎盤とは、
胎盤が正常より低い位置(膣に近い側)に付着してしまい、そのために胎盤が子宮の出口(内子宮口)の一部/全部を覆っている状態を「前置胎盤」といいます。
全分娩のおおよそ1%弱を占めています。 通常、経膣分娩(下からのお産)では赤ちゃん→胎盤の順に出てきますが、前置胎盤では、胎盤が赤ちゃんよりも下(膣)側にあります。
胎盤→赤ちゃんの順に下から出てしまうと、胎盤が出る時に大出血してしまい、また、胎盤が出た時点で赤ちゃんは「胎盤からの栄養が途切れ」「自分はまだ子宮内にいるから呼吸もできず」という状態になってしまいます。
したがって、前置胎盤の場合には、ほぼ100%が帝王切開分娩です。
妊娠した時、私は夫の海外赴任に帯同中。
私が「前置胎盤かもしれない」と言われたのは、ちょうどアメリカの子供達の学校が夏休み(vacation)に入り、日本の小学校に体験入学させるために一時帰国した時でした。
元々、妊娠発覚してすぐに出血。
体調不良に。
その日はちょうど家から1時間以上離れた日本人(日本語)学校の入学式&入園式。
子供達がそれぞれ入学式と入園式に出ていたため、最前列で見ていたら出血しました。
とてもしんどくて、式の途中から車の中で寝ていました。
この日は土曜日。
土日しんどくて寝込み、月曜日に夫にアメリカの産院に予約の電話をしてもらったら、
予約が取れたのは2日後の水曜日

妊娠中に出血したのは初めてだったので、
日本だと、救急病院に駆け込んでいたかもしれません。
そして水曜日に
「出血したんですけど」と産院に行くと、その時が初診だったため
「妊娠してるよ!おめでとう!」のみ
「出血?大丈夫よ~」って感じでした… 通訳なしで現地の産婦人科医。
この時から前途多難な妊娠初期でした

ちなみに、最後まで出血の原因はわからずです。

2.前置胎盤は治るのか

治るのではなく、子宮が大きくなるに伴って子宮下部が伸びるため、胎盤が上に移動して内子宮口からはずれた状態になるそうです。
この場合、「前置胎盤が治った」というのではなくて、「元から前置胎盤ではなかった」とのこと。
前置胎盤が改善した症例は多く、最初の診断が妊娠15週から19週だった人の88%、20週から23週の人の66%、24週から27週の人の51%が、前置胎盤が改善されるそうです。
私も「前置胎盤かもしれない」と言われた時は、日本に一時帰国中。
2ヶ月弱日本にいたので3度産院に行きましたが、2度目の検診で「前置胎盤かもしれない」と言われました。
結果的に、私は前置胎盤が治りませんでした。
少し上がった(ましになった)等の話もなかったです。


3.「前置胎盤かもしれない」と言われたのは、22週

私の場合、アメリカに戻る前に2度目の検診を受けておこうと産院に行ったところ、
「前置胎盤かもしれない」と言われました。
前置胎盤という単語も知りませんでした

その後すぐにネットで「前置胎盤とは何か?どうなるのか?」検索。
1人目2人目は切迫早産。その後も妊娠はトラブル有り。
そんなわけで、元々アメリカで出産することは不安でした。
上に2人の子供。その上「前置胎盤」ともなると・・・
アメリカで産める気がしない

1人目も2人目も里帰り出産をしませんでした。(上2人を産んだ後に海外勤務になったため、上2人は日本で産んでいます)
実母は海外が好きではないため、アメリカまで手伝いにくるつもりはなし。
義母との仲も良好ですが、夫はあまり頼るのが好きではないため頼ったことが有りません。
とにかくこの時期はずっとネットを検索して体験談を探していました。
日本と海外、特にアメリカの前置胎盤の経験談を読み漁る。
前置胎盤は、出産時に大量出血することがほぼわかっているため、予め自己血といって自分の血を輸血するために採っておきます。
アメリカは、出血した時にその血をその場で精製して利用する、と言うことが書いていました。
どちらも、自分の血が足りない場合は他人の血を輸血することになります。
「アメリカ人の血が入るの・・・?!」
その可能性も不安材料でした。

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4.前置胎盤の不安の中、子供2人と渡米。そしてすぐに帰国

子供のアメリカの学校の夏休み(Vacation)が終わるため、不安を残しながら
妊娠25週で日本からアメリカへ。
夫と相談しましたが、とにかく子供を見てくれる人がいないため(親が拒否)、子供と夫だけアメリカに残して私は日本に帰国することにしました。
その旨を妊娠27週で日本人の副社長に相談したところ、次の日には夫の日本本帰国が決まりました

一人で日本に戻るつもりが、1ヶ月後に夫も戻ってくるなら子供を残す意味もないのでまた子供2人を連れて妊娠28週でアメリカから日本へ


5.日本に帰国。入院するまで

妊娠28週で海外から帰国し、次の日には子供の学校と幼稚園の手続きへ。
落ち着いたところで、再度前置胎盤と診断されていた産院を受診。
日本で産むために帰国した
まだ前置胎盤だったら、大きな病院を紹介してほしい
と伝え、結果前置胎盤は治っていなかったので紹介状をもらいました。
この時期「前置胎盤は治る」とよく書かれていたので、それも期待して体験談を読んでいました。
子供の世話は両親に任せて一日中ずっと布団の中で寝ていたので、前置胎盤を調べるか入院中に遊べるオフラインゲームを探したりもしていました。

6.自宅安静後、管理入院

前置胎盤が治っていなかったため、大学病院を紹介してもらうことに。
市内には2箇所前置胎盤の出産を受け入れている大きな病院がありました。
口コミや症例数をネットで調べましたが、さほど変わらず。
建物が比較的新しく父が通院していたので大学病院にしました。
全国の病院ごとの症例数なども見ましたが、都会だと前置胎盤に強い病院はあるようです。
けれども、私が入院したような地方の県では県内にそれほど前置胎盤の症例をみている病院がなく、口コミが悪くても選択肢はあまりありませんでした。
実際には、病院も大事ですが執刀医が一番大事なので、入院してから先生と信頼関係を築くほうが安心して出産(帝王切開)できます。
帰国後すぐに入院しても良かったのですが、入院生活も長くなるとつらそうと思い、夫の1ヶ月後の帰国を待つことにしてもらいました。
症状説明は家族の同席が必要でした。
症状説明では、どういう状態なのか、どういう危険性があるのか、どういったことが起こりうるのかの説明があり、主治医と看護師のサインの入った「説明済み」の書類にサインをしました。
主治医「(もう妊娠しないように)卵管縛りますか?」と言われましたが断りました。
体験談では前置胎盤の出産後にもう1人産んでいる人がいましたが、次の妊娠も前置胎盤になる可能性があるためこの病院では次の出産はオススメしないようでした。
3人目だったので、もういいでしょ~と言いたかったのかもしれませんが。
管理入院したのは、33週でした。
体験談を読んでいると、入院してから一度退院したりもっと早めに入っている人もいましたが、私の場合は33週までは家で保ちました。
入院初日はMFICUに。
MFICUとは 母体・胎児集中治療室(maternal-fetal intensive care unit)の略であり、お母さんやお腹の中の赤ちゃんに治療が必要な場合や、注意深く見ていく必要がある場合に入院して頂く病棟です。
母体用ICUで、婦人科病棟の隔離された一角、換気システムも他の棟とは異なっているようでした。
部屋に大きい空気清浄機も有り、トイレ付きの個室です。
MFICUは最長1週間と決められていたようで、症状に変化がないままもっと重病の人が来た場合は部屋を移ることになります。
そのことを書いた書類にサインしました。
たまたま、その大学病院には幼馴染が働いていてそれもその時MFICU担当。
子供も同じ年で同じ小学校!
初日は血液検査や身体検査があったのですが、それも全て友人が車椅子を教えて連れて行ってくれました。
何かと緊張する病院ですが、久しぶりに色々話せたのでリラックスできました。
胸部レントゲン写真で裸になるときだけですね、知り合いで抵抗があるのは・・・
今回は看護師の友人だけでしたが、地元の大学病院なので知り合いが務めている可能性も高く、婦人科だったので知り合いの男性が担当ではなくて良かったとは思いました。
続きはこちら▼
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